top of page

コミュニケーションスキル~論理力①~

執筆者の写真: かわうちかわうち

こんにちは。

ファシリテートGのかわうちです。


前回は「わかりやすい説明」をテーマに、以下をポイントとしてお伝えしました。

①話を整理する

・伝えたいことのテーマを伝える

・伝えたいことの数を伝える

・結論から伝える


②聞き手に伝わる言葉で伝える

・難しい言葉を簡単な言葉に言い換える

・難しい言葉を聞き手にとって身近な言葉に置き換える


これらは、伝える内容は既に決まっていて、それを聞き手に理解してもらう(極端に言えば、伝えたいことの内容の正しさや説得力はさておき、こういうことを伝えたいんだな、ということをわかってもらう)ということに主眼を置いています

今回はもう少し中身に踏み込み、伝えたいことに説得力を持たせるにはどうするか、

そもそも伝えたいことは正しいのか、ということを考えるためのヒントを私が参考にしている書籍を用いながらお伝えしたいと思います


 

論理力とは

よく「ロジカルに考えて」とか「論理だてて説明して」と言われます。ロジカルや論理というと難しそうに聞こえますが、要は考えや話の流れを整理することだと思います。

これができると何がいいのかと言うと、受け手が説明をすらすら理解できる(途中で「ん?」と違和感を持つことなく納得できる)ということです。

なぜかというと、主張と論拠、主張と主張の補足、の関係性が明白になっているからです。

よく会議が進む内に議論が発散してしまい当初の目的から話がずれてしまう、ということがありませんでしょうか。これは議題に対する主張や論拠の関係が曖昧(主張や論拠、補足などを混同する)なために起こってしまうことです。


具体例を見てみましょう

------------------------------------------------------------

近畿地方を中心に西日本では、女性や子供が一人称としてウチを使う。

ウチは内であり、家であり、自分であるわけで、東京でも自分の家をウチと言い、「ウチの会社では」と一般的に使う。

相手をウチの人だと思うと急に親しくなり、相手をソト者と思うとはっきり別扱いする。それは古い体制の名残である。

つまり、日本語社会では、人々は相手が自分に近いか遠いかについて鋭い感覚、区別をいつも内心で保っている(これが敬語の基礎の1つ)

だから、近しい扱いでは、しばしば親密さから、時によると相手を粗略に扱うことがある。

------------------------------------------------------------

「論理トレーニング101題」より引用


おかしな点には気が付きましたでしょうか?

最終行の「だから」は理由の接続表現ですが、後の内容が理由になっていない(主張や論拠の関係が曖昧)ので、違和感がありますね。


簡易なやり取りに置き換えると

「日本人は自分に近い相手を粗略に扱いがちらしいよ」

「どうして?近い人ほど大事じゃない?」

「どうしてって、日本人は人間関係の近さをいつも気にしているからだよ」

やはり理由になっておらず違和感があります。


「①近いかどうかを気にする」ことと「②近い相手を粗略に扱う」は独立した論点で、

(②が事実である前提で、)②は①の論点を付加する内容です。

これらを踏まえると、


(1)日本語社会は相手が自分に近いか遠いかに敏感

(2)しかも、近い相手は時に親しさから粗略に扱われる

(3)だから、日本語では遠近の感覚が敬語の基礎の1つとなる


この文章であれば違和感がありません。


改めて見ると、論理的な文章でないと違和感を抱いて話が入ってきづらいということが実感できたのではないでしょうか。

「こんなの気が付くでしょ」と思うかもしれませんが仕事であれプライベートであれ、色々な人達の会話を聞いていると、「質問の答えになっていないのでは?」とか「どうしてその話の展開になるの?」と思うことは往々にしてあります。(かくいう私もまだまだ勉強中なので気を付けたいと思います)


では論理的な思考を持ち、表現するにはどのようにすればいいのでしょうか。

次回は論理力を鍛えるための方法についてお伝えします。

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page